TOMOIKU 共育-経営者が思う21世紀

経営30年で経験や想うをことを綴っています。センスある生き方や生活が彩られますように…

「心を自由にする方法」ムーミン谷の旅人「スナフキン的な生き方」はミニマリスト必見!ネットでの道徳!

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<出典 ciatr:シアター

「心を自由にする方法」はムーミン物語で子供が読む書籍として存在

お片付けをしなくちゃ!

なかなか片付かない本棚。

なぜなら、座り込んで本を読んでしまうから。

雑誌以外の本を私には捨てることができないのは、また読み返したくなるからです。

今読み返すと10年前に読んだ時と違う感想を持つもので、今はまってしまったのは「ムーミン」

私の時代は「ねぇムーミン♪こっちむいて♪はずかしがらないで♪…」とただ単なるアニメだと思っていたし、息子を育てていた20年前は騒がれることもなく、今のように北欧雑貨に多いムーミンが身近にはありませんでした。

 

「ムーミン」は読めば読むほど…深かった。

 

 

登場人物のスナフキンの大人の郷愁や理想の生活の憧れも誘い、北欧に住むミニマリストのテキストのような内容でした。

ミニマリストというイメージは、一般的に「物を少なくして、整理整頓をしてシンプルに生きている人」という認識かもしれません。

整理整頓をするということは「心を整える」ことに繋がります。

「鶏と卵」の問題で、心を整えていたら物の価値観がかわったのか、物の整理をしていることで心が整ったのか?

どちらにしても、北欧ミニマリストは「精神論」からはじまっているようです。

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片付けの最中、ムーミンの本がもっと読みたくなります。

やはり心に刻みたい本はそばに置いておきたいと思うのです。

10年前に購入したムーミンの書籍に再度共感した私は、ムーミンの小説や絵本などの本はこれからも増えていくことが予想されます。

しかし!そばに置いておきたい…という私の物欲は、スナフキン的生き方ではNGです。

孫達にも残してあげたいので、OK!ということで…

ミニマリストにはなれないけれど、掃除は頑張ります♪

 


何でも自分のものにして持って帰ろうとすると難しいものなんだよ。
ぼくは見るだけにしてるんだ。
そして立ち去るときにはそれを頭の中へしまっておくのさ。
そのほうがかばんをうんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからね。

<スナフキン>

 

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「心を自由にする方法」スナフキン的な生き方

日本や世界でも人気の「ムーミンシリーズ」は北欧のフィンランドで多くの人に愛されている本です。

ムーミンの親友として登場する「スナフキン」は、他人が持っている物に羨むことなく執着もせず、他人と比較するような背伸びを決してしない、自分らしく自由な生き方をして、芸術(音楽)を愛し自由を求める旅人です。

物語のことなので、現代の私たちは旅人として生涯生きていくことはとても難しいですが、“人を羨み、物に執着しない考え方・心を自由にする方法”は自分を楽にするものなのかもしれません。


そのうちなんてあてにならないな。 今がその時さ。

<スナフキン>

 

TVで活躍していらっしゃる林修先生の「いつやるか? 今でしょ!」と同じ意味ですね。

あぁ~やらなきゃ…明日からやろう!  あぁ~やらなきゃ…来年からやろう!

そんな日々を過ごしていませんか?

 


あんまり誰かを崇拝するということは、自分の自由を失うことなんだ。

<スナフキン>

宗教の自由である日本ですが、宗教戦争も自由を失うことのような気がしますし、洗脳・マインドコントロールによって自分の意志を失ってしまう。

人間関係でも、誰かを崇拝しすぎてしまい、自分に無理をして生きていませんか?

 


大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ。

<スナフキン>

日々の生活や仕事に追われてしまい、自分のしたいことを考えることも考えられないように時間を過ごしていませんか?

世界をひっくり返すような「したいこと」を指しているのではなく、小さな幸せを感じられるような…今、したいこと。

そんな自分を知っているだけでも、先が開けるのだと思うのです。

スナフキンは“こう思われたい!”というような他人の評価である理想像を求めるよりも、自分らしくシンプルに生き、心を豊かにする方法を知っているのです。

 

義務ってしたくないことをすることさ

<スナフキン>

スナフキンは「義務」について、行為に臨む精神のありようを、義務かどうかを決めています。

権利を主張し義務を怠る傾向にある現代に「精神論」で話をしていますが、ぶれない姿勢と哲学的な物腰で伝えています。

 

僕は自分の目で見たものしか信じない。けど、この目で見たものはどんなに馬鹿げたものでも信じるよ。

<スナフキン>

社会における人間関係や報道される内容など、人の話しが全てのような受け止め方をしてしまうことで、自分を見失ってしまうことがあります。

人は自分の都合の良いことは語りますが、自分が不利な部分は削除して語るので、正確な情報を得られることはできません。

 

本当の勇気とは自分の弱い心に打ち勝つことだよ。包み隠さず本当のことを正々堂々と言える者こそ本当の勇気のある強い者なんだ。


もっと意気地のない弱虫は、自分のした悪いことを隠して、人をだますことだよ。いくらオオカミのように強くて腕力があっても、そんなものは本当の勇気じゃないんだ。


人の好みは千差万別だと思います。もし全部の人間が同じものを食べ、同じものに感動し、同じ本だけしか読まなくなったとしたら、僕はそんな世界は味気ないつまらないもんだと思います。


どこにもなかったら、自分で作ったらどうだい?できるかどうかはやってみなければわからないんじゃないかな。


一度決めたら最後までやりぬく、それが俺の人生さ。

<スナフキン>

 

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その人にはその人なりの考えがあるからね…byスナフキン


昨日、はてなメッセージから記事が紹介されたお知らせが来ていたので、そのブログを見に行ってみました。

hachiさんの「はてブに載るはてなブロガーは全員互助会と開き直っていいんじゃないか説」でした。

 

リンクされた私の記事

www.tomoiku.net


はてなブログをやりはじめて1ヶ月の私にとって、「はてな互助会」のことは衝撃的だったのですが、どうもみなさんにしてみると定期的に話がでていることのようでした。

そのことはいいのです。いろいろ考えがあるのですから…

私の記事をリンクしたhachiさんのブログを紹介していたポジ熊さんのブログ「ブックマークコメントは何書いたって良いんだよという話」などのコメント欄を読んでいると、どうして吐き捨てるような言葉を書くのだろう…と疑問に思うのです。

ネットだから仕方がない?…という意味不明のことです。

 

人の好みは千差万別だと思います。もし全部の人間が同じものを食べ、同じものに感動し、同じ本だけしか読まなくなったとしたら、僕はそんな世界は味気ないつまらないもんだと思う。

スナフキン>


どんな記事だっていいんじゃないですか?

記事を書いている側は良いと思って書いていて、それが面白いと思って読んでいる人がいる。それだけじゃないですか?

つまらなければ読まなければいいだけです。


公文書を制作しているわけではないので、道徳なルールを守って、読みやすい書き方などを切磋琢磨して、日々共感できる人達と過ごしていき、お互いが成長していかれたら最高じゃないですか?

誰だって「楽しんで読んでもらいたい!」「この気持ちわかってもらいたい」「もっと人を集めて仕事に繋ぎたい」という気持ちで綴っている方が多いと思います。


私はいろいろなジャンルのブログに遊びにいきます。

独特な書き方をする方もいて、はじめはさっぱりわからない内容のものもありましたが、読んでいるうちに理解できるようになり、楽しくなってきたり、そのテーマに興味をもったり、教えてもらったり…。

綴っているブログ記事から溢れるものがあったり、コメントでの言葉にあたたかい気持ちを感じ人柄が好きになったり、ブログの内容を「知ろう!」という気持ちになるし、応援したいと思うのです。

ブログ巡りをしていて、ブログの内容や人格を否定するようなコメントを見ると、本当に悲しくなります。

スナフキンにしてみると、この気持ちも「他の人に押し付けている」ことになるのでしょうか…?

人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね

スナフキン>

その人にはその人なりの考えがあるからね…

そうですね。

人それぞれです。

でも、人を傷つけていいことは、ひとつもないと思うのです。