平成で生きた30年の昭和設立会社!余生は平成に設立し令和で生きる
平成最後、2つの会社を設立した。
思い返せば、経営に携わって30年を過ぎていました。
昭和62年に個人事業から有限会社へ…そして株式会社に変更して30年。
体調不良で代表取締役を退任し、今では相談役となり仕事に関わり、あれこれ仕事と戦って32年の月日が経っていました。
いろいろあった。
本当に…。
昭和に設立した会社30年!平成で生きてきた
バブルがはじけて、様々な会社が倒産や閉鎖をし、当社も漏れることなく、苦しい時期がありました。
取引先に夜逃げをされ、1億近い負債を個人で背負って、様々な人間関係とも戦ってきた32年。
でも、その中でも応援をしてくれた様々な方達がいたからこそ、会社は設立32年を迎えられています。
設立当時、女性が起業し育児をしながらの経営は、世間の目も冷たかったような気がします。
でも、何のために仕事をするのか?
その追求をしていくと、子ども達の成長に関わることを疎かにしてしまっては、本末転倒。
成長で欠かすことができない食事では、スーパーで「惣菜」を使わないと、一番はじめに心に決めたことなので、作り置きをしたり必死で家事もしてきました。
どうやって子育てをして、どうやって生きてきたのか…と、思い返せないほど、忙しかった記憶しかありません。
その小さかった息子達が、もう30歳を超え家庭をもち子供もいる。
平成という時代は、若かった私が、育児と経営で戦ってきた日々です。
その間は、壮絶な日々。
その後、私のそばに寄り添ってくれた愛犬が旅立ち、立ち直れないほどの精神状況になっていたとき、私を支えてくれたのは、SNSで知り合った方達…仕事で知り合ってお付き合いをしている方達…突然我家に訪れる友達…ご近所の方々…そして、家族。
人は本当にひとりで生きているのではないと心底感じ、感謝の気持ちでいっぱいです。
多くの方達に支えられて、次のステップを考えている今、平成の終わりを迎え、『令和』という時代に突入します。
昭和最後の年に、会社を設立し平成という時代を生きてきました。
現在の会社は完全に若手に任せます。
私の次のステップ
平成最後の月に会社を設立しました。
また社会と共存し、戦っていこうと思います。
支えられて生きてきたのだから、今度は支える側に…
若い時の会社経営は、ギラギラした気持ちを持っていていいと思います。
個人で抱えた億の負債も、従業員を守る気持ちや、大きな展望を掲げていないと、辛い時に耐えるだけの気持ちになれなかったと思っています。
さて、人生後半戦は…
私の年齢から、「余生に何をする?」…という考えから生まれたものです。
年金受給が目の前…なんていう年齢。
長年払ってきた年金だけど、もらわない覚悟で仕事をしていく気力が必要です。
もちろんお金は大切です。
…というか、ほとんどの問題って、「お金」で解決できることが多い。
それでも解決できないのは、「人の心」
私は「辛い」と感じる出来事の時、必ずと言ってもいいほど、あたたかい手が差し伸べられ、助けていただきました。
不思議なほどに…。
あの時、従業員が必死に頑張ってくれた…
あの時、同業社長が助けてくれた…
あの時、銀行担当者が頑張ってくれた…
...私と会社は、生かしてもらっていたのだと、様々な方達に感謝しています。
人は多くの人達に支えられて、生きてきています。
そして、寄り添ってくれた動物もいます。
今度は、恩返しの事業をしなければいけないと感じています。
しかし、世の中、きれいごとばかりで事は進みません。
そんな覚悟をもって、事業を展開していきます。
事業内容や展開は後程。
昭和に設立し、歩んだ平成30年。
平成に設立し、これから歩む「令和」のはじめの一歩。
がんばろう!