TOMOIKU 共育-経営者が思う21世紀

経営30年で経験や想うをことを綴っています。センスある生き方や生活が彩られますように…

「こども食堂」が「大人ラク食堂」に?理想像と違う一部実態を見た

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こども食堂を運営している友達から、SOSの連絡を受け、5日ほど手伝い(ボランティア)に行ってきた。

インフルエンザにかかり、本人及びボランティアスタッフが不足して困っているとのこと。

正直、忙しい年末になっていたので、快く手伝いに行ったわけではありません。

 

年末は朝から私自身の仕事があり、夕刻からこども食堂の手伝いをするのは、過酷労働でした。

そして私だけに限らず、多くのボランティアの方々が疲れているのが、一目でわかります。

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ここで前置きをしておきます。

私はこども食堂の運営を考えてみたこともないし、一般的な情報しか得ていません。

私がこれから綴ることは、私が手伝いに行ったところでしか起こっていない問題かもしれませんし、「こども食堂」を批判するものでもありません。

きっと、社会の中でなくてはならない場所になっているのでしょう…。

そんな思いは持っているのですが…私の怒りが頂点に達した出来事がありました。

私がであった一部の人のことを、“こども食堂を利用している人達”全体と捉えてしまうのは危険ですし、本当に手を差し伸べてあげたい子供もいました。

たった5日ほどしか手伝っていないのに、こんなにも問題があるという現実は、もう運営者がひとりで悩むレベルを超えているような気がします。

自治体・学校・地域のコミュニティ等と連携して、チラシ配布してアナウンスをしているのだから、その後の問題解決にも目を向けてほしいと切に願うことでした。


こども食堂の意義

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子ども食堂は、地域の法人や大人たちが、貧困家庭の親子やひとりでご飯を食べる「孤食」の子どもたちを支援するために、無料または安い値段で食事を提供する取り組みのことです。

気に入らないとわが子を殴ったり、自分の精神的負担を弱い子供たちに当たり散らし、たまに与える食事は菓子類や菓子パン…、自分は朝食を食べない生活をしてきたため、寝坊して朝食を作らない…といった生活能力のない親もいて、たとえ貧困でなくても育児放棄をしている親がいるのが実態です。

私も仕事もしながら育児をしてきたので、大変な状況は理解できますし、まして母子家庭・父子家庭と、様々な事情で一人で子供を育てなければならない人達にとっては、家事は大きな負担になるでしょう。

そんな中、日本…地域の子供たちの未来を考え、貧困や虐待の問題を抱える子どもをできる範囲で支援したい…と立ち上がり「こども食堂」を運営している人達の勇気には頭が下がります。

食材は寄付などで成立ち、調理はボランティアが手掛けることが多いことから、無料または数百円で食事を提供し、運営も寄付金で成立しているところが多いと聞きます。

経済的な理由から、家で満足な食事を取れない子どもに暖かい食事を提供し、悩み相談も受けて…と、運営者は人間ができていないとできないと感じています。

子育て支援などに携わる大人や、趣旨に賛同した地域のボランティアが参加していますが、今回私がお手伝いして感じたことは、そのボランティアの方たちの精神的に支えているイメージとのギャップがあり、本来の本当の意義が、揺らいでしまうような問題事例が多すぎるということでした。


理想像と違う「こども食堂」一部実態

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父親が病気の上、母親は働かなければならず、頼れる人もいない…など。

貧困で親が子ども食堂にあいさつをして、涙ぐむ方もいるようです。

そんな時、ボランティアの方々は、こども食堂を立ち上げてよかった…と思う一瞬だと。

しかし、そんな良い話ばかりではなく、私の怒りの頂点に達した話もありました。

私が5日間で見た・聞いた例をいくつかあげてみます。

 

裏口からわからないように入ってくる女の子

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料理の準備をしていたら、裏口から2年生の子供が入ってきました。

ボランティアスタッフから事情を聞くと、とても裕福なうちのお子さんなのに、父親は不在で母親は夜遊びで出かけることが多く、夕飯が食べられない日が多いとか…。

こども食堂に来ると、お母さんに怒られるから言わないで…」と、子供は言うようです。

こども食堂としては、子供の食事は親の同意が必要です。

児童相談所に相談中で、結論が出るまでは「近所のおばさんがあげたおにぎりと味噌汁」ということで、こども食堂と切り離して考え、表入り口から入らないとのこと。

見た目、裕福な子なのがわかります。

でも見た目では、子供の苦悩は分からないものだと思いました。

この子に限らず、普通の家庭で貧困ではないけれど、放置されている子供が思ったより多かった…というボランティアの方々は言っていました。

これ…誰かの忠告などで、どうにかならないものなのでしょうかね…。

その実態が世間にバレてしまうと、親は子供に激怒するとか…。

地域と共有して支えあい、子供の生きにくさを取り除ける場所って、ほど遠いような気がしてしまうのです。

でも、こども食堂があることで、その少女は夕食を食べることができるのだから、大きな意味はありますよね…。


こども食堂は「大人ラク食堂」じゃないからね!

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どう見ても…こども食堂に頼るのはどうか?…と思った例です。

夫婦で住宅ローンに追われて、家計が苦しいとのことで、パートを夕刻5時までしているとのこと。

母親は疲れている上、新築のために台所を汚したくないから、こども食堂を利用。

それも、親も!

何?それ?どの家庭も同じような苦労はしています。

そして夕刻5時でパートが終わるのであれば、十分夕飯の支度はできるはず。

こどもは無料で大人300円だから、家で作るより安上がりで、台所仕事をしなくて済む…という理由だとか。

おかしくないですか?

食材は寄付で成り立っています。

近所のスーパーで、ちょっと傷んだけど…と野菜を持ってきてくれる…。

自分の畑でできたから…と、お年寄りが貧困の子供たちに役立てて♪…と、野菜を苦労して持ってきてくれる。

そして、現金を寄付してくださる方もいるとか。

そんな善意で成り立っている「こども食堂」なのに、ラクするために利用している方々がいる。

まるで「大人ラク食堂」です。

調理場にいる私は、その人に「たまにはフライ物も出してよ…と、責任者に言っておいて!」と言われました。

フライ物は新築の家で、最もしたくない料理だとか。

私は、他にもいくつかの出来事で納得がいかないことがありましたがどうにか心穏やかな顔はしていたんです。

でも、この一言は怒りの頂点に達してしまいました…が、私が運営している食堂ではないので、言いたいことが言えません。

お近くのファミレスでもお安くで美味しいですよ…というのが、やっとでした。

立派な家を建てても、何か心がすさんでいてヤダなぁ…と思った事例です。

ボランティアのスタッフも「普通の母親が楽をするために、私たちは働いているの?本当に手助けをしたい人の方が少ない…」と感じ、手伝いの回数が減っていると言っていました。

その上、おかわり自由にしていたため、親がごはんを山盛りにおかわりする人もいて、後から来るこどものごはんが足りなくて、近所のコンビニでごはんを買いに行った…などということもあったとか。

私は本当に困っている親子というより、安く食事ができるから来ている親子が多いという現実が、どうにも許せないのです。


「ママ友同士のグループ食堂」遊び場じゃないからね!

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私が手伝っている間は、出合うことがありませんでしたが、毎週金曜日に必ずくる団体があるとか。

仲良しママ友同士のグループの親子達で、こども食堂で食事をしてからカラオケボックスでストレス発散をするとか…。

こども食堂には、「育児に悩んでいる人達のコミュニティとして…」という目的もあります。

でも、その団体、マナーを守れずうるさく騒ぐとのこと。

スタッフは注意をしないのか?…と、私は不思議でなりません。

多人数でギャーギャー騒ぐのは、こども食堂だけではなく多くの社会の場で行われていて、大人として子供に見せられたものではありません。

「公の場の教育」も運営の目的理由に含んだらどうか?…と提案しましたが、自分が「お客様」という大義名分によって、迷惑を顧みない人があまりにも多く、スタッフは反論されてしまうと小さくなっています。

 

重要な役割を果たしてくれると信じたい「こども食堂

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社会で共存し、未来ある子供たちに明るい未来を…と、私自身ブログを立ち上げていますが、その前に親の教育が必要なのでしょうか。

勿論、不愉快な話はある一部の人のことで、こども食堂を利用するすべての人のことではありません。

でも、本当に…来てほしい!利用してほしい!助けを求めて欲しい…と思っている人達が、ひとりで頑張ってしまって、安くて便利というぐらいにしか思っていないような人達が平気で利用している…

どんな分野でも道徳心のない人はいるものですが、人の善意で成り立っているのだから、もっともっと困っている人達に情報を発信して、今ひとりで悩んでいる子供達に利用してもらえるようにできないものなのでしょうか?

困っていても、人に頼らず生きようとする人が多い…そんな人達が一歩踏み出すことで、世界が広がるという場であってほしい…。

大事なのは支援の敷居を下げることで、こども食堂を利用してもらえるとのことですが、不愉快な親の敷居も下がっていきます。

裕福でもこども食堂に来ていた子のように、貧困でなくても親が子供をネグレクト気味な家って結構あることから、子どもの問題は親の問題なのだとつくづく実感しました。

生きづらい現代で、苦しい環境に育つ子どもたちが、いざという時に逃げられる場所として「こども食堂」は重要な役割を果たしてくれると信じ、私は必要だと思っています。

マスコミには「こども食堂」について、正義と美しい情報ばかりを流すのではなく、メリットには大きなデメリットである爆弾があることも、実態調査をして伝えてほしいと、強く望んでしまいます。

不道徳な大人の行動により、こども食堂の継続が困難になってしまうことが、何よりも貧困や生活に悩みをもつ子供たちが苦しむことになるのですから…。