スウェーデン式断捨離がしっくり!終活似の断捨離はライフスタイル「ヒュッゲ」に繋がる
年末の掃除をしているので、不要なものを捨てるという行為の基準を記事にしてみようかなぁ…と思いました。
私が「モノを捨てる」という基準を記事にしなかった理由は、今まで言ってはいけないことのように感じていたので、綴ったことがありませんでした。
モノを捨てる基準をどう考える?スウェーデン式の断捨離
「もし、私が死んだら、片付けるをしなければならない人たちが大変だろうなぁ…」という基準です。
世の中の「断捨離」の流れが、きれいにするため…自分の気持ちがすっきりするため…心を整えるため…
使われる言葉がきれいで、前向きに考えられて未来に向かっていくのが“断捨離”という、定義付けがされているような気がしたのです。
私は“不要で汚いモノの処分を頼みたくない”と思う気持ちがモノを捨てるという基準になっていました。
年を重ねたからなのか?
…いいえ!それは経験からです。
私のように親の遺品整理の経験があると、その苦労を残された人達にさせたいくない、申し訳ないという思いは強くなりますし、若い年齢でも、いつも“死”とは背中合わせで生きているのだから、年齢は関係ないと思ってしまうのです。
そして後ほど紹介しますが、英語圏で話題になっている、スウェーデン人アーティストのマーガレット・マグネソン氏が書いた本「: How to Free Yourself and Your Family from a Lifetime of Clutter」がもとになっている出版が出版され、すでに英語圏のメディアでは多数取り上げられている話題の本です。
大切な家族に遺品の処分の苦労をさせたくない!経験談
父が他界…母が他界と両親の“死”を経験していると、残された人間は悲しいということだけではなくなってしまうのです。
父は病院を経営していたので、財産もあるけれど膨大な負の遺産もあり、入院患者もいることから閉鎖することもできず、病院を人手に渡すにあたって、負の財産になっている医療器具は二束三文にしかなりませんでした。
父の死で気持ちがついていかれなくなった母の代わりに、債務整理を18歳の私がしなくてはならなく、知識がない年齢だったのでとても大変でした。
人の足元を見て交渉されていたことがわかっていても、弁護士に頼む他の方法を知らない自分。
父が大切にしてきた病院が、二束三文扱いを受けた時は、本当に苦しかったです。
今の私だったら、ぜったい病院を売却しなかったし、負の遺産を残さないで解決する方法を見つけ出し、銀行などと交渉して戦うこともできたかもしれない。
「残ったモノ」とは、そういう扱いを受けます。
今では人生半ばの年齢で他界したのだから、仕方がなかったんだと思えますが、当時は苦しさのあまり心の中では愚痴ワードがいっぱいでした。
問題は母です。
母の死後しばらくは整理していなかったのですが、1年後片付けをしようと思って、遺品整理をしたのです。
不要なものが押し入れに多くあり、片付けながら「こんな着ることもない服!いつの時代の服?捨てればいいのに!」「こんな着物どうして持っているの?」使っていない昔の電化製品や調理器具が倉庫の奥の方から出てくる。
捨てるのにとても苦労しました。
母は兄弟が多かったので、使えるものは捨てるよりも使える弟や妹が渡すという習慣だったので、捨てることができない人でした。
本人にとっては思い出があるものかもしれませんが、残されて掃除をする私は途方に暮れてしまいました。
昔の人がモノを捨てられないのは、戦争経験やモノを入手するのに苦労をしているからです。
そのことは十分に理解しているのですが、やはり捨てる作業は大変です。
大切な家族に大きな負担をかけたくないという想い
記事にしようと思ったきっかけは、「断捨離」のニュース記事を読んだことがきっかけです。
片付けなんてしなくてもいいし!…と思っている方、ちょっと角度を変えて考えてみませんか?
そして、意識がちょっとでも変わると、すべてのモノの見方が変わるかもしません。
「こんまり式」はもう古い! スウェーデン式の断捨離「死のお片付け」とは
「人生がときめく片付けの魔法」が英語に翻訳されて以来、近藤麻理恵氏の「ときめく」片付け法は世界的なトレンドになった。しかし今、英語圏で「こんまり式はもう古い!最新のお片付け法はこれ」として話題になっているものがある。スウェーデン発の「死のお片付け」である。
こんまり式のお片付けは、自分がときめくか否かで捨てるかとっておくか決めていくが、スウェーデン式「死のお片付け」は、「私がこれをとっておいたら誰かが喜んでくれるか?」と自問するのが捨てるか否かのポイントとなる。ただしこんまり式同様、洋服から始めることをアドバイスしている。これは、個人的な思い入れが他の物と比べて少ないため早く進められるから、という。マグネソン氏の著書は、これまで両親や夫など近しい家族を亡くした時の経験をもとに書いたものだ。「大切な人たちに負担を残したくない」という思いが出発点らしいが、自分の死に向けた準備と捉えると、日本語の「終活」に少し似ているようにも思える。ただし、終活が死に向かった身辺整理であるのに対し、「死のお片付け」は、「死」を意識はしているものの、より快適に生きることを目指したもののようだ。
「死のお片付け」はあらゆる年齢層が取り入れるべき考え方で、つい物を集めてしまう癖を考え直す必要はあるし、整理整頓を始める必要はある。
<一部抜粋:Newsweek>
いかがでしょう。
洋服から始めることが勧められていますね。
そして、「より快適に生きることを目指したもの」とされているので、自分と家族を重んじている“断捨離”は家族で話し合えますね。
スウェーデン式断捨離は遺品を片付ける人の気持ちを想像して整理
現在、捨てるものなんてない!…と考えている方。
では、家族や他人に見られては困るものや、不要なものはありませんか?
壊れたモノなのに、捨てないでいるものありませんか?
本当にないですか?
いつか使う時がある!
その「いつか」はいつですか?
もう一回考えて、その「いつか」が具体的にイメージできるのであれば、あなたにとって大切なものなのかもしれませんが、場所を多くとってしまい、邪魔になっていませんか?
お若い方でも、そんな基準でお掃除をしたら、ちょっとは整理整頓の基準ができませんか?
日本人の「もったいない」という言葉が世界に広がりました。
そう!
使えるものを簡単に捨てるのはもったいないです。
でも、道具だって使わなければ、何の意味もありません。
では、売りにいきましょう!
では、必要な人に差し上げましょう。
いつ?
今日動きましょう!
負の遺産を残しても、喜ぶ人はいません。
たとえあなたが若くても…です。
自分の家庭、もしくは部屋が、一番心地よい場所…一番ほっこりする場にしませんか?
そして生きている今、あなたに必ず「ヒュッゲ」な暮らしが待っています。
「ヒュッゲ」について書かれている書籍です。
世界一幸福だとされるデンマーク人の考え方、「ヒュッゲ(hygge)」
デンマーク語の『ヒュッゲ』は「温かな居心地がいい雰囲気の時間や空間」という意味で、英国や米国のライフスタイル業界で新たな話題となっています。
世界一幸福な国のデンマーク人自身が語る幸せは、お金があることや贅沢をするような「モノに執着」をせず、少しでも自分が心地よく過ごそうとする前向きな気持ちを持つことなんです。
北欧の寒い国で、部屋の中で過ごすことが多いので、大切な家族や親しい友人知人とともにいかに楽しく過ごしていくか…ということが人生に直結されるので「ヒュッゲ」の暮らしを上手に考えることができます。
2017年の日本が世界幸福度が51位だなんて…日本に住んでいて、とても寂しい…
そう思いませんか?
しかし、デンマークと日本では思想が違うので、「ヒュッゲ」を理解できない感覚もあるのではないでしょうか。
EUの資本主義諸国と共産主義の帝国ソ連(ロシア)との中間に位置している北欧は、両方を身近に感じることができたため、独特の社会主義的共同体という道を選んでいます。
国家全体で資本主義に見られるモノへの執着心よりも、本当の幸福を追求を考えたとされています。
デンマークは高い税金がかかる厳しい北国で、このような国家体制や地域から、幸せのカタチを生み出し、そこで生まれたのが「ヒュッゲ」という考えです。
豊かな暮らしのために“高額な税金を払う”というモノの考え方から、全く日本とは違います。
日本は敗戦国のため「追いつけ追い越せ精神」で、頑張って国を建て直しました。
そして、出来上がった国はモノに溢れ選択肢の多い社会でした。
日本人の幸福度が低くなっている原因のひとつは「他人と比較し続ける人生」がストレスに満ちていることだと指摘されています。
他人が所持していると自分も持っていないと不安になる気質の上、自分のセンスの自信のなさがモノが増えていく原因でもあります。
そして、モノがない時代の苦労の経験である「握ったものは放さない」という精神が子孫にまで受け継がれています。
このような時の流れから、気持ちの確認作業をしないと、日本人はなかなか断捨離ができない文化の中で暮らしています。
バブル景気以降、日本は使い捨て文化を作ったのに、捨てられないという、矛盾した状態が生活の中にたくさんあります。
その矛盾の中でモヤモヤしているのであれば、すっきりと自分で基準を設けて“整理整頓”をしてみると、気持ちも部屋もすっきりします。
ただモノを捨てることだけが「ヒュッゲ」に暮らせるということではありません。
負のモノをなくすことで「居心地がいい時間や空間」ができて「ヒュッゲの暮らし」に結びつき、自分も含め家族や知人が健康でお互いを思いやり、心が穏やかでほっこりとした生活ができるのだと、私は思っています。