自ずと見えてくる生き様!人生3つの坂「上り坂・下り坂・まさか」でわかる!徳を積むって?
<写真出典:阪神交通社 ウユニ塩湖>
自分の人生で「上り坂・下り坂・まさか」を振り返る
会社を30年経営していて人間関係の善と悪を散々見てきましたが、この3つの坂を意識するととてもよく人間がわかります。
前回の記事
前回の記事を綴ったとき、災害は「まさか」ですねと、Google+のコミュニティで語ってくれた方がいました。
人生には上り坂も下り坂もあるが、まさか、と言う坂もあることを忘れてはならない❗
天災なんて、その一番良い例ですね❗
「人生には三つの坂がある。のぼり坂、さがり坂、そして、まさかである。」
正確には「人生には三つの坂がある。のぼり坂、さがり坂、そして、まさかである。」でしたか⁉
良く結婚式の激励スピーチなんかでも使われるらしいですね❗
これからの二人の人生には色んな事が待ち構えているはず。
でも二人力を合わせて幸せになって欲しい❗だなんて言う時の少し辛口な激励として。誰が言った言葉なのかは分からないようですね。
人によっては「まさか」ではなく「魔坂」と書く人もいるみたいです。
<いつも適切で心に染みるコメントをくださる「雄治リチャーズ」の言葉>
ものすごくわかりやすい言葉だと思いました。
私はバブル時代に起業しているので、自分も含め他の会社も創業30~50年の会社はジェットコースターに乗っているかのような状態で経営されている方が多いと思います。
私は30年過ごしていますが、周りを見渡すと当時の同時期に起業した会社が10%も残っていません。
絶好調でギラギラしていた会社は突然なくなり、自分が偉くなったと勘違いした社長が、自殺・病気と命を落とし、私は何回葬式に行ったか…
ほとんど“まさか”と思われる事が原因で、その対応が不適格であったり、誰も助ける気持ちになっていなかったり、社長自身に「徳」がないゆえに、更なる悲劇を生んでいるように見えます。
家族以外誰も悲しんでいない葬式は、本当に悲しくなります。
自分が経営の引退準備をしていると、経験したことを如何に引き継ぐ人達に残すべきなのか深く考えるのですが、営業戦略など…そういうことは小さいことで、根本は「人と成り」なのだと感じます。
人生3つの坂「上り坂・下り坂・まさか」
上り坂は何をやってもうまくいって心身共に満たされて万事が好調、下り坂は何をやっても思い通りにならない、つまり心身共に不健康に陥ってしまうのです。
3つ目の坂、これは“まさか!”という坂。
人生には、健康・人間関係・仕事など想像もつかない事態は必ず起こります。
ある程度、“まさか!”と思われる緊急事態には備えていることは法人としては当然なのですが、想定外に起こることに関して「危機管理能力」が問われます。
地震などの災害や事故のように、人生が好調な時“まさかの坂”が出現して奈落の底に突き落とされたりしますが、そのような場合でも従業員の仕事をなくさないように、若しくは災害時再開できるように準備するのも経営者責任として発生するので、見えない“まさか”のために経営者は常に何が起きても慌てない心構えが必要です。
会社の業績は好調なのに、なかなか従業員の待遇が改善されないことがあり、会社の内部留保(利益剰余金)問題とされていますが、バブル経済やリーマンショック・災害を経験している法人が、この“まさか”の事態のために内部留保をしている場合が多いです。
問題なのは従業員に還元することなく、使途不明金が多い・もしくは経営者や一部の人間、若しくは会社のためだけに利益が使用されている可能性が高いからです。
中小企業経営を取り巻く環境は、“まさか”の坂の連続です。
私の身におきた“まさか”は取引先の計画倒産で、吹けば飛ぶ中小企業なので、想定外の出来事に対しての資金繰りは大変でした。
どうにか生き残れたのは、20代前半で起業しているので皆さんに指導していただくことが多く、支えられているのを感じていたので「威張らない」から…・・・…「威張れない」から…苦笑
礼儀を尽くし謙虚である場合、人の印象を悪くはしないような気がします。
私はもう年配組になってきているので、「お金を貸してほしい」と若い社長に頼まれることもありますが、高級な腕時計や外車で借金のお願いに来る前に、お金に替えられるできるものは手放し、身につけないで相談に来るものではないか?と私は思うのです。
実は、このようなことは銀行もよく観察していて印象が悪く、融資担当者は力を入れて融資計画書に明るい未来を書き込んで上司に頼まないので決済がおりません。
こんな当たり前の「人に物を頼む時の道徳」がわかっていない経営者は、結局他のことでも「徳」を積んでいない場合が多いので、誰にも助けて貰えず干されていきます。
「社長様のお通り~」と普段チヤホヤされているので、何か勘違いをしてしまうのです。
上り坂の時は社内も取引先も歯の浮くようなお上手も言うでしょう。
しかし下り坂の時は近寄らないようにしようとされることが多く、上り坂の時に経営者が他人にとってきた横柄な態度が“まさか”の事態が発生した時、反撃されるかのように冷たく扱われます。
上り坂の時、従業員は社長大好き♡のように接しますが、社長だから付き合っているだけで、給与が払えなくなった“下り坂やまさか”に至っている場合、残ってくれる人は何人いるのでしょう。
法人に限らず、その“まさか”の坂の時に、人間としての本質が見えてきますし、今まで自分はどのように生きてきたかが問われるのです。
“まさか”の坂の時は、仲良くしてきた相手でも“まさか!”という態度に豹変します。
それは豹変した相手が悪いのではなく、自分を映しているのだと思うべきです。
“まさか”で見える自分の生き様
おごれる者久しからず
自分の地位や権利を笠に着る者は、そう遠くない将来に凋落する。と言われるように、自分という人間を冷静に考えてみてください。
・もし自分が上司だったら…
・もし自分が友達だったら…と…嫌な奴になっていませんか?
私は自分で記事を書いて…反省する点が多々あります。
社長さん!もし自分が自分の会社の従業員だったら…
自分はサービス残業ができるか?
自分は不条理な状態で怒鳴られ続けられるか?
自分は従業員の給与で生涯生きていかれるか?
自分はこの会社に人生を託せられるか?
自分が疑問に感じたことがあるのなら、従業員だって同じ気持ちです。
中にはサービス残業をさせている従業員に対して、人よりも作業が遅いから仕方がない…という反論もあるかもしれません。
そこが人を指導する力が問われるのであって、その反論は自分に「指導力」がないと自分をきびしく評価するべきで、自分が成長しなければ改善する方法はないと思うのです。
人間関係や業績が悪化するのは、自分が嫌だと思うことを他人に行い、他人に自分の思いを強制的に求めることから始まるのではないでしょうか。
人間関係を円滑にするために小手先の◯◯すれば…ということを考えるより、まず先に「自分が嫌」と感じたことは絶対人にはしない!言わない!ということを徹底して、自らの生き方を律することで「人間力」は自然についてくるものだと思います。
“まさか”があなたの身に訪れてきても、慌てず他人の責任として嘆くことなく、騒がず冷静に対処して、あらゆる角度から問題を分析し、解決の道を迅速に導きだし、愛情と情熱で対処する…ということが私の理想です。(難しいです…)
理想なので、自分は果たして今まで出来ただろうか?そして、これからできるだろうか?と…まだ未熟者なので感情が揺れ動きます…人生死ぬまで修行です。
“徳を積む”というとは人に媚びることではないのですが、見返りを期待してしまう場合が多いようです。
“徳を積む”ということは人に感じてもらえることであって、見返りを期待した言動“オレいい奴だろ~!”というオーラを出そうとすると、人はそれを見抜き不快感さえ感じます。
“諸悪莫作 衆善奉行”というように、諸々の悪いことはしてはダメよ!善いことをたくさんしましょう…という言葉から、『功徳』が“徳”であるとして意識することで『人と成る』のではないでしょうか。
経営者に限らず“まさか”という坂の事態に遭遇した場合、好転するも地に落ちるのも
最後の砦は、自分の生きてきた形跡でもある「人間力」なのだと思います。